「笑顔を離さない人として」

秋  山  徹

明けましておめでとうございます。冬休みの中で、新しい年をそれぞれのお家で過ごした子どもたちが元気に戻ってきて、3学期の幼稚園の歩みが再開されました。卒園・進級までの一年の総仕上げの時、この幼稚園で経験したすべてのことが、一人一人の子どもたちの中で、また保護者の方々すべての中で、共に働きあって益に変えられてゆくように祈りながら、さあ、出発。

子どもの話とは違って、先年11月に80歳で天に召された柳谷 明という名の牧師について語られた「新生釜石教会だより」に載っていた文章に、強く惹きつけられました。103歳を迎える鈴木きよさんという方が柳谷先生についてインタビューで語ったことばです。以下に紹介します。
「この度は…何とも言えない、おしい事です・・・・。なんたってほんとに…あの笑顔。今こうやって亡くなったと聞こうとは思わないからね。ああ、あの笑顔、いつでもあの笑顔。鈴子教会に来てくださったときの顔がね、目に映る。いつも笑顔を離さない父ちゃんだった。岩淵稔さんと『あの先生いつも笑顔を離さないね~』『んだ、んだ』とよく話した。日曜ごとに午後来てくれるでしょ。ちゃんと時間に来てくれる。それが思い浮かぶ。明先生にお茶を差し上げるのがわたしの仕事だった。いや~ほんとに笑顔離さないお父さんだった。

震災前、大船渡でお会いしたとき、丁寧に手を握ってくれるの。皆に握手してくれて。あの笑顔。明先生はその時『わたしは三男と一緒に住みます』と言ってた。鈴子教会で、野球の話してくれた、その人が三男なんだね。タイに行った人。そういうことを聞かせられていた。
わたしの死んだ息子は昭和10年11月生まれ。明先生は10月生まれ。わたしは昭和10年の1月に釜石に来て、11月に赤ん坊が生まれたの。人それぞれに運命があるんだから、仕方ないんだなあ、本当に。
今度はわたしですね。頼みますよ。順番は神様が決めることですけどね。その時はお願いします。」

なんとも風雅な、亡くなった牧師をしのぶ言葉かと、この鈴木きよさんというおばあさんと柳谷明牧師とお二人のお人柄が身近に感じられます。「なんたってほんとに…あの笑顔…いつも笑顔を離さない父ちゃんだった」「んだ、んだ」。

実は、わたしも柳谷明先生にお会いしたことがあります。東日本大震災の後、5月にまだ街中にがれきが散乱し、教会は二階部分まで浸水して泥まみれになった時期、この教会を拠点にして全国から集まったボランティアのためのセンターとして機能していた時代に、新生釜石教会をお訪ねしたとき迎えてくださったのが明先生で、鈴木さんが言われる通り、始終「笑顔を離さない」優しいふるまいで、津波の恐怖を身をもって体験した教会員やボランティアの人々と接していた姿を目に浮かべることができます。

聖書には、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主に倣う新しい人を身に着けなさい」と教えられています。「笑顔を離さない」のは、まさに、新しい人を身に着けた生き方ですね。さて、新しい年 私は?

上尾富士見幼稚園 えんだより 2016年1月号